Jastreboffによる耳鳴に関する理論を、簡単にまとめると、以下のようになります。
音は空気の振動ですが、この空気の振動が、外耳道→鼓膜→内耳(蝸牛) というように、順次、振動として伝えられます。内耳の蝸牛は、この振動のエネルギーを、神経を伝わるための電気信号に変換する装置です。電気信号に変換された“音”は、その後、聴神経を経て、最終的に大脳皮質の聴覚中枢へ伝わり、ここで音として認識されます。
一方、内耳に何らかの障害がおこり、外界から伝わる振動のエネルギーとは無関係に異常な電気信号が発生してしまった状態が耳鳴であると考えられます。(図1)
(厳密には、耳鳴の成因の全てが解明されているわけではありませんが、ここでは、ひとつの考え方として上記のように考えます)
さて、音の情報である電気信号が、すべて、そのまま音として認識されているわけではありません。
音の情報は、最終的に大脳皮質に届く前に、皮質下というところで、その人にとって必要または重要な音とそうでない音が区別され、また、必要な音にも優先順位がつけられ、不要な音はカットされ、優先順位の高い音情報から順次、認識される仕組みになっていると考えられます。
私たちは、部屋でテレビに見入っているときなど、エアコンの音、部屋の外からの車の通りすぎる音等は、通常、意識に上りません。エアコンの音や車の音は、優先順位が低い情報なので、脳が、無意識のうちに、カットしていると考えられます。(図5)
内耳からの音の情報(電気信号)は、そのまま全て脳で感じられているわけではない。皮質下で、感じるべき音の優先順位がつけられている。
心理学の分野で、カクテルパーティー効果とよばれている現象があります。
多くの人が集まったパーティー会場では、目の前で会話している人の話は聞こえますが、無関係のグループの話し声は、ほとんど意識に上りません。ところが、遠くの別のグループの会話の中に、自分の名前が出てきたとたんに、そのグループの会話が耳に入るようになります。このような経験は誰にもおありでしょう。これがカクテルパーティー効果とよばれるものです。
パーティー会場での別のグループの会話は、本来、優先順位が低い情報なので、意識に上ることはないのですが、そのなかで、自分の名前がでてきたとたんに、その会話の優先度が上がるので、意識に上る(大脳皮質で認識される)ようになるわけです。
耳鼻科で聴力検査を行う部屋は、防音室になっていますが、この部屋に入って耳をすましていると、今まで感じたことのない耳鳴が聴こえるという方が、結構多くいらっしゃいます。このような人は、普段から耳鳴はあるのですが、その耳鳴の音が、他の音の情報と比べると優先度が低いので、通常は耳鳴が意識に上りません。しかし、防音室に入ると、他の音の情報がなくなってしまうので、耳鳴の優先順位が上がって、意識に上るようになると考えられます。
このように、耳鳴があっても、普段、意識していない人も多くいるわけですが、一方で、同じ耳鳴が、常に脳で音として認識され、非常な苦痛となっている方もおられます。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか? 前項で述べたように、私たちは、自分にとって必要な音や重要な音を、選んで認識していると考えられます。耳鳴で苦しんでいる人は、その耳鳴の音を、「危険な音」「注意すべき音」として選別していると考えられます。
たとえば、最初に耳鳴を感じたときに、その音が、脳の異常や重大な病気の前触れでないかといった恐怖を感じたのかもしれません。それがきっかけとなり、耳鳴を意識するようになると、耳鳴に過敏になり、余計に耳鳴を意識するようになります。そして、耳鳴に対するマイナスのイメージが定着してしまうと、次に、情緒と関係の深い大脳辺縁系というところが刺激され、不安、不快、恐怖、苛立ちなどの気分を生じてくるようになります。すると、さらに耳鳴に対する感受性が増加し、音の認識の上での耳鳴の優先順位が上がるようになります。また、大脳辺縁系が自律神経系を刺激することで、自律神経失調症の状態となり、耳鳴に対する不快感はなお一層高まります。以上のような流れで、耳鳴に対する悪循環ができてしまった結果、耳鳴が耐え難いような不快な音になってしまうと考えられます。(図6)
内耳等で発生した異常信号が音として感じられた際に、それが重大な病気の前触れであるかもしれないといった恐怖などがきっかけとなり、それを重要な音として認識するようになる。それが大脳辺縁系を刺激して不快な感情を誘発し、それがさらに耳鳴の音として優先順位を上げる結果、耳鳴を苦痛に感じる悪循環がつくられる。
耳鳴の治療法のところで、難聴と耳鳴のある方の場合、補聴器をつけると耳鳴が抑制されることがあるということを書きました。なぜ、このようなことが起こるのかは、この“Jastreboffによる耳鳴に関する理論”を考えると説明がつきます。
難聴の方の場合、本来外から聞こえてくるはずの音が脳に入ってこない状態になっていますが、補聴器をつけて、外部の音が脳に届くようにすると、耳鳴の優先順位が下がるので、耳鳴が意識に上りにくくなると考えられます。
耳鳴を苦数と感じる悪循環を断ち切るには、まず、前述の1)〜3)を、よく理解していただくことが必要です。そして、耳鳴が危険な音ではないこと、耳鳴を不安に感じる必要はないことなどを、深く理解するようにします。さらに、サウンドジェネレーターによる雑音を聴くことで、一時的に耳鳴のうるささが軽減する状態を経験してみます。そして、この経験を何度も繰り返すことで、徐々に、皮質での耳鳴の音としての優先順位を下げていき、大脳辺縁系や自律神経系を介した耳鳴の悪循環のサイクルをなくしていくというのがTRTの原理です。